青少年スポーツにおける人間形成をどのように考えるか?

「スポーツを通じて青少年の人間形成に寄与したい」という考えは多くのコーチが支持するところだと思います.
ところで,人間形成とは一体何なのでしょうか.
求められる人間形成は時代によって変わってくる側面もあるようです.
この概念をコーチは時代に即して捉えることが必要です.

それでは,社会はスポーツにどのような役割を期待してきたのでしょうか.
まずは「過去」の時代(私が青少年時代であった昭和の終わり頃)から考えてみましょう.

その1つ目は「学校秩序の維持」としての役割です.
リーゼントヘアの「やんちゃ」な少年がゲームセンターをうろついていた時代です.
そうした生徒への対応として,非行防止や更生の機会としての役割が運動部活動に期待されたという時代はありました.
コーチが「しっかりやれよ!」と涙しながら選手を殴り,「ありがとうございました!」と選手はそれに応えます.
これは当時を象徴するスポ根ドラマのワンシーンです.

2つ目は「縦社会の人材育成」です.
上役の言うことに「ハイ」と言える,ある意味で従順な人材の育成がスポーツで行われてきたようにも思います.
高校時代にコーチに自分の意見や考えを素直に言えたという方は多くはないと思っています.
使える言葉といえば「ハイ」だけであった...というのは笑えない冗談のような話です.

3つ目は「理不尽さの体験」です.
勝利至上主義的な価値観の下,勝つためには厳しい練習が全てとの認識が強く持たれました.
そこでは合理性に欠ける理不尽な練習が行われることもありました.
私も同年代のコーチから「集合」「説教」「しごき」などを体験してきたという話を聞くことは,珍しいことではありませんでした.

ところで,このような「過去」の時代にあって,人間形成といえばこの3つの言葉に集約できそうです.
それは「規律」「礼儀」「忍耐力」です.
そして,このような人間形成が期待される中でどのような指導が行われたかというと,規律,礼儀,忍耐力を盾にして上から押さえつけて従わせる指導が主流のようでした.

しかし,このような指導がよくなかったのかというと,当時に持たれた価値意識からすればある意味では効率的だったと考えられるかもしれません.
ここで誤解がないように気をつけて頂きたいのですが,そのことはあくまでも当時のスポーツに求められる役割の観点から言えばということです.

それでは,皆さんは「過去」に行われてきたような高圧的な指導を今の時代にも行うのかというと,行わないと思います.
なぜなら,その頃と今とでは時代が変わっているからです.
つまり,スポーツに期待される役割が違うからです.

続いては「現在」はどのような人間形成が期待されているのかを考えてみましょう.
多くの内容があると考えられるものの,それらを総じて言うならば,変化が大きいとされる今の時代にあって「自らが主体となって考え,行動を起こすことができる自立した人物」を育成することにあるのだと思っています.
そして,そのような人間形成を推進するにあたって,私たちに求められる指導とは,「過去」に行われたような「権威主義的な指導」ではなく,選手の主体性を重視した「民主的な指導」が求められると言えます.

選手は「安心できる環境」の中で様々なことに興味を持ち,それに挑戦することで様々な学習を行っていきます.
もちろん,最初から上手くいくとは限りません.
失敗の経験から試行錯誤を繰り返すことで,自立に向けた「自己成長力」を養っていきます.

「従わせる指導」では青少年は安心して失敗することができません.
私たちの成長において失敗の経験は不可欠です.
もし,失敗をしたことでそれを責められ酷く怒られるのであれば,選手は失敗をするような場面から遠ざかり,結果的に挑戦することをあきらめてしまうことになります.
このように,脅威を原動力とするような指導方法では,青少年は自立に向けた学習の機会が奪われてしまうのです.

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